6月19日(月)

 私が、今から十数年前、世に言う「思春期」と呼ばれる時期に母の欠点が
とても許せない時期がありました。
母が買ったばかりのお気に入りの洋服をハサミで切り刻んで
生ゴミのゴミ箱に捨てた事も。今もその洋服の色も形も忘れることが出来ません。
本当にひどい事をしてしまったと後悔しています。
その時に本屋さんで薬師寺の元館長「高田後胤さん」による
「仏説・父母恩重経」という本に出会いました。

父に慈恩あり、母に悲恩あり。
そのゆえは、人のこの世に生まれるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。
この因縁をもっての故に、悲母の子を念(おも)うこと
世間に比(たぐ)いあることなく、その恩はいまだ形なき時に及べり。
初め胎を受けしより十月の間、行(ぎょう)・住(じゅう)・座(ざ)・臥(が)ともに
諸々の苦悩を受く。苦悩休む時なきが故に、常に好める飲食・衣服を得るも、
愛着の念を生ぜず。ただ一心に安く産まんと願う。
月満ち日足りて出産の時にいたれば、業風吹きてこれを促し、骨節ことごとく痛み、
汗・膏(あぶら)ともに流れて、その苦しみ堪えがたし。父も心身おののき畏れて、
母と子を憂い、諸親眷属(けんぞく)みな悉(ことごと)く苦悩す。
すでに生まれ落ちれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女の宝石に得がたるが如し。
その子、声を発すれば、母も初めてこの世に生まれ出(い)でたるが如し。
それより母のふところを寝床となし、母のひざを遊び場となす。
母の乳を食物となし、母の情けを命となす。
飢える時、食を求むるに母にあれざれば食べず、渇く時、飲み物を求むるに、
母にあらざれば飲まず。
母飢えたる時も、哺(ふく)めるを吐きて子に食らわしめ、母寒さに苦しむ時も
着たるを脱ぎて子にかぶらす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。
父母の恩重きこと、天に極まりなきが如し。
母、東西の隣里に雇われて働き、種々の仕事をなし、
家に帰る時のいまだ至らざるに、今やわが子、わが家にてわれを恋い慕わんと思い起こせば
胸さわぎ心おどろき、両乳流れ出でて、忍び堪えることあたわず。
すなわち去りて家に帰る。
子、遥かに母の来たるを見て、ゆり籠の中にあれば頭を動かし、
外にあれば腹ばいして出て来たり、空泣きして母に向かう。
母は子のために足を早め、身を曲げ長く両手を延べてわが口を子の口につけつつ、
乳を出だしてこれを飲ましむ。この時、母は子を見て喜び、子は母を見て喜ぶ。
両情一致、恩愛のあまねきこと、これに過ぐるものはなし。
二才、ふところを離れて初めて行く。父にあらざれば火の身を焼くことを知らず。
母にあらざれば、刃物の指を堕とすことを知らず。
三才、乳を離れて初めて食らう。父母外に出でて他の座席に行き、
美味珍羞を得れば、みずから食べるに忍びず、持ち帰りて子に与う。
・・・・・以下省略・・・・・・

私は、まだ子供を持った事がないので母が子を想う気持ちという物を実感出来ないけれど
これを読んだ時に涙が止まらず滝のように流れ出たのでした。
「母の情けを命となす」この言葉をいつも忘れることが出来ません。
そして、今は母が子を想う愛情を深く受け止め
今夜も母が持たせてくれたタッパに入った手料理をいただく私でした・・・・。

これを読んだ後、名古屋三越での今は亡き「高田後胤さん」のお説法へ
爺婆に交じって何度か参加したのでした。
だから頭の中が、爺婆なのかしら?!